2回の震度7の大きな揺れに見舞われた熊本地震。
今なお、多くの被災者が避難所での生活を余儀なくされているなか、
インターネットで、被災者とみられる人らの「千羽鶴はいらない」との声に激怒する人たちが現れた。
「千羽鶴」は古着や生鮮食品、応援メッセージの寄せ書きなどとともに、被災地が「ありがた迷惑なモノ」の一つとされ、
阪神・淡路大震災や東日本大震災などを経験したという人たちが「(被災地に)送らないほうがいい」モノとして呼びかけていた。
熊本市は2016年4月23日以降、支援物資の受け入れを一時中断している。熊本市に寄せられた支援物資は、
「うまかな・よかなスタジアム」(熊本県民総合運動公園陸上競技場)で荷受けしていったん集められ、
仕分けされた後に避難所に届けられる。
略
そうした中で、被災地が「ありがた迷惑なモノ」とされた「千羽鶴」が、インターネットで再び注目されている。
被災地の「千羽鶴はいらない」との声に激怒する人たちが、声をあげたことがきっかけのようだ。
「被災者がホントにそう思っているんだとしたら、完全に腐ってる!」
「善意を踏みにじるのかよ。その人の気持ちを考えろ!」
「ちょっと傲慢じゃない? これじゃあ支援する気すらなくなるよ」
「確かに実用的でないけど、そこには善意や思いがあるんじゃないのかよ。助けてもらっといて、随分と薄情だね」といった具合だ。
「千羽鶴が避難所にあったかどうかもわかりませんでした...」
だが、「千羽鶴はいらない」の声に賛同する人も多く、
「なんで千羽鶴なのか意味不明。一番いいのは、寄付金だと思う」
「ただ送ればいいってもんじゃない。千羽鶴じゃなくても、ダンボールに適当に詰め込めば不用品も出てくるだろう。
いちいち仕分けしなければならないことを考えれば、個人があわてて物を送る必要はない」
「この人たちが、災害で住まいを失い、食うもの着るものにも困ってる状況で同じことが言えるのだろうかねえ...。
お腹が空いてるときに、食べ物じゃなくて千羽鶴差し出されてブチ切れたりしないのかしら」
といった声が多数あるのも事実だ。
1995年1月の阪神・淡路大震災や2004年10月の新潟県中越地震、2011年3月の東日本大震災の例を引くまでもなく、
被災した直後に必要な物資は、水やおにぎり、毛布といった、「生きる」ために最低限必要な、すぐに使えるモノなのだろう。
たとえ、そういった支援物資でも、現地での受け入れ態勢が整わない状況であったり、
集まりすぎたりして、かえって混乱するケースがないわけではない。
J‐CASTニュースが2016年4月18日付で報じた「『千羽鶴・古着・生鮮食品は要りません』被災地が困る『ありがた迷惑』な物とは」に
寄せられたコメントにも、
「千羽鶴や古着がいらないのは、5年前も同じだったねえ」
「あのときも、そう報道されていたと思うが...... 5年もすると、皆さん忘れてしまうんだね」
「千羽鶴は災害から5年も経つと処分に困るようですね。善意が込められている分、他の余剰物資のように処分しにくいみたいです」
といった声が寄せられていた。
このように被災地の支援物資に「千羽鶴」がいる、いらない、の議論が賛否両論で盛り上がっているのだが、
実際に千羽鶴は被災地に届いているのだろうか。
熊本市地域政策課は、「現在、避難所に届けている支援物資の中には『千羽鶴』はなかったと思いますが、
避難所に直接届けるようなことはあるかもしれません」と話す。
加えて、「被災直後は大きな揺れが続き、ボランティアの方々も(現場に)入れませんでした。そのため、人手が足りず、
24時間、市職員だけで荷受けや仕分け、避難所への配送もやっていたので、(千羽鶴が)あったかどうかもわかりませんでした」と、
混乱していた様子を明かす。
熊本地震では、「千羽鶴」が避難所に届けられていたとしても、数はそれほどではないのかもしれない。
http://www.j-cast.com/2016/04/27265506.html?p=all