世界ランク速報 日本史上最強の「剣豪」って誰なの?

日本史上最強の「剣豪」って誰なの?

刀0706

1 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/10 18:38 ID:C38Ezc1y
ト伝とやりあい槍で勝つ。水の上を歩いて渡った       草深甚四郎
謎の多き天才剣士。 天下無敵の一刀流流祖         伊藤一刀斎
九州では知らぬものない名流 先手必勝殺人剣 示現流流祖    東郷重位
この流派から分派が沢山でてきました。 天下の名流、新陰流   上泉伊勢守
西日本一 剣聖上泉の高弟 タイ捨流流祖          丸目蔵人佐
西の丸目、東の柳生。 徳川家の指南役も輩出。       柳生石舟斎
鳥取一番の武術の名人。神速の居合術。剣もこなします。   深尾角馬
武芸百般に秀でる武術家。針吹術も手裏剣も得意です。    黒河内伝五郎
現代剣道はここから始まったかも。北辰一刀流流祖     千葉周作
江戸の剣道家達を震え上がらせた長竹刀           大石進
大石進にただ一人勝利した寺田より型を高柳より竹刀を    白井亨
柔術から砲術まで 生まれる時代が遅すぎたか?       平山行蔵
勉強は出来ないけれど 剣を持たせれば日本一か!?    仏生寺弥助



2 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/10 18:38 ID:C38Ezc1y
江戸一番の剣客。一本とらせて二本を捕る。         男谷精一郎
榊原道場でお茶だけ? 富山は振武館の剣客           黒田正邦
尾張柳生の麒麟児。江戸柳生に勝利した?            柳生連也斎
ここから全てが始まった。電光石火の居合抜きを開いた居合術流祖 林崎甚助
日本で今、大人気。未開の地、二刀流を開いた負け知らず     宮本武蔵
木の枝?に正座をしたという 不思議の剣客 神道流       飯篠長威斎
柔術で有名ですが、剣の腕も確かなもの  大東流柔術    武田惣角
信じられない跳躍力と剣裁き 甲野先生が大好きな剣客    松林左馬介無雲
今牛若と呼ばれ、早足でもあった剣の達人          楳本法神
今武蔵と呼ばれた、日本剣道界に喧嘩を売り続けた男     国井善弥
今弁慶。拳骨和尚。その力は50人力とも言われた不遷流流祖  武田物外


と適当にあげてみましたが 誰が最強なのでしょうか?
いろいろ教えてくださいませ



23 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/11 09:19 ID:GQn7sSJ7
日本一の突きの名人と言われた下江秀太郎(千葉道場塾頭)に逆に突きで勝った
武田惣角に一票。



24 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/11 10:21 ID:eXS2zIgS
>>23
あれは勝ってないって話もあるけれどね。
同等にやりあったってだけで



28 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/12 23:41 ID:8u6E5WKF
足利義輝の最後、かっこいいよな。
床に自分の愛刀を次々と突き立てて…油で切れ味が鈍ったら刀を替えるためだっけ
で、刺客を次々斬って…結局打たれちゃうけど。

タイトルに昭和って書いてあって思い出したけど、昭和の剣聖とか呼ばれた
中山博道って人いなかったっけ。
知り合いがその人の弟子、最後の生き残りの人に剣と居合と杖習ってる。



880 : 七資産@お腹1敗:04/06/25 20:13 ID:6sHeRHZ2
足利義輝の話はすっごい好きだけど
示現流最強派の俺としては東郷重位は外せない。
なんせ威力が違う、そこいらの輩が示現流有段者の第一刀を
刀で受けようと思った物なら受けきれずに腰まで裂けるし。
てか、当時の薩摩藩内の男子のほとんどがちんころこまーい頃から
巻き藁に打ち込む練習をさせられてたんだからね。
新撰組の隊士も薩摩藩士が相手なら3人でかかる様に言われてた位だから。

でも、第一刀さえ避ければ生存率は上がる。



43 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 14:14 ID:G3Gi31xy
いちおう、生涯不敗という事では、東郷重位を推したい。
どうも、薬丸自顕流の技術解説とゴッチャにされているが、
天真正示現流は、指を切断する技や小手の内側を狙う技など、
実は多彩かつ繊細な技が多く含まれている。

元々、東郷自体が剣術家であると同時に、金蒔絵の職人でもあるのだ。
ひたすら初太刀に掛ける一本調子の剣法では断じてない(薬丸自顕流は
そういう側面が強いが)。幕末の薩摩藩の剣士は、有名道場の門弟ではなく、
ほとんどが基本技を徹底的に一人鍛錬で鍛え上げた無名の郷士がほとんど。
それが有名流派の剣士を斬り伏せてる事実を持っても、東郷最強と言える。



48 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 22:37 ID:nu5HH2P3
上泉信綱に一票。

戦場でも試合でも実積がある。
おまけに高弟も猛者ぞろい。



55 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 12:23 ID:xKfgQ9+v
名声を求めず隠棲してた中村一心斎 
立ち会った相手は催眠術に掛かったようにただ打たれるのみだった



64 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 18:28 ID:GtmK7qzh
やっぱ上泉伊勢守を推すね。
実戦、試合、門下生の三拍子が揃っている。
ここまで完璧な武道家って現代でもいないでしょう。



70 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 22:00 ID:IRDDxfUl
何故塚原ト伝が候補にないんだーー


でも個人的に最強は上泉伊勢守だとおもうが・・・。



484 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/24 00:16 ID:s37+No7G
草深甚四郎とかかっこいいよね。塚原に槍で勝つ。
草深の開いた無拍子流からは有名な畳替えしの術がでたり

一押しは深尾角馬。手に木刀?を手のひらに立てて弟子に次々と
うちかからせて全員倒しちゃったりとか。
居合の名人との勝負で竹を上からたらしてどっちが先に切れるか勝負
した時なんて相手の刀が竹に触れる瞬間に抜いたのに
角馬の剣が竹を切ってしまう。まさに神業。



121 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/19 22:53 ID:qFY/xtJy
草深てどんな人?
深甚流の深草甚四郎なら知ってるけど。



127 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/20 02:48 ID:OR2lyqJB
>>121
加賀国草深村の人。塚原卜伝というと勝った話ばかりだが、
この甚四郎には剣では勝ったが槍で負けたという。
その後、卜伝から新当流を学び、深甚流天狗小太刀の祖となった。
甚四郎は超能力を使ったという。

剣豪って言う意味では、塚原>草深なのでは?
それに、草深の半生って微妙にうそ臭いような気が…



169 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 21:43 ID:ZI+TdTzE
とりあえず合戦場最強の剣豪は、塚原ト伝でFAじゃない?
一対一の道場剣法は、小野忠明、柳生石舟斎、丸目蔵人佐あたりだと思う。



183 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 12:32 ID:CdvDWh9i
一刀斎は何気に人気高いのね。

>小野忠明、柳生石舟斎、丸目蔵人佐

3人とも、道場剣法とは程遠いお方達だと思うが。つーか、道場での修業さえないだろ。
回国武者修行は実戦に近いだろう。石舟斎くらいか?一応身分も小大名だし、国を出るわけにも
いかず自前の道場持ってたのは。



184 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 13:01 ID:Rd7biRwj
小野は「腕に覚えのある死罪人と釈放を条件に斬り合うのが最も良い稽古」とか言ってたらしい。
過度の型稽古で華法や空理空論に溺れるのも否定していた。
道場はもってたが相手が初心者でも容赦なくボコったので道場生がほとんど居なく成ってしまった。
将軍相手でも容赦なくボコって島流し。



190 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 19:05 ID:QJcdKtS7
小野の逸話といったら、ある家中の若侍と試合をした時のこと、若侍の
負けが明らかになったのに容赦なく利き腕を木刀で打ち、骨を砕いて
不具にした。
また剣術を見せ物にしている小屋で、小屋主である剣術使いを嘲笑し
怒った彼と勝負して、これまたあっさりと殺した。
似たような話はまだあるが、

よく幕府から切腹とか言い渡されなかったものだ。
というか、こんなんが将軍家の剣術指南役がなれるとは。



197 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 21:58 ID:7znyyGgs
笹の才蔵!

おっと、剣豪、ではなかったな。宝蔵院流だった。



233 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/30 11:22 ID:ejpxOE0+
小野の逸話。
柳生家に交換稽古へ行った時の事、十兵衛が最初相手を務めたがあっという
間に十兵衛は壁に追い詰められる。それで小野は一人でなくて7、8人まと
めてかかってきなされという。そのため、兵庫+高弟4人が立ち会う事にな
るのだがさすがに緊張感が漂う。それを見てこりゃ下手したらけが人が出る
かもと気をもんだ宗矩が兵庫殿は特別であるから、はずれたらいかがと提案
して結局、高弟4人が立ち会う事になった。でねほとんど一瞬で4人ぼこる
の。
 まあ、本当に史実だとは思えないけどな。それでも、小野や宗矩が現役の
ころからすでに一刀流>新陰流といううわさが立っていたくらいだから、よ
っぽど強かったのだろう。



262 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/31 00:20 ID:WCu2JI1h
自分の奥さんを二度も手打ちにした深尾角馬最強。
切腹する時、平然と自分の両足の親指を折った深尾角馬最強。



324 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/07 20:14 ID:fyPGHi/c
片山幽鬼って実在するの?


371 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/13 22:02 ID:2aeqiQSk
楳本法神の逸話
すごい早足で法神流では風足と呼ばれ重要視されている。
1日に40里を飛ぶようにはしったと呼ばれ、気合一声、小さな家を飛び越した。
こぶし大の木を木刀でさくさくと斬り倒した。気当てで相手を昏倒させた。
168歳まで生きた。などなど。 地元の人からは神の化身と讃えられた
剣神である。  彼は心の師を上泉としていたという。
伝説的な剣豪である。

彼の道場破りの唯一の話としては、小野鉄之進(神道無念流)
大石進と同等にやりあったと言われる名人の道場に単独で行った話がある。
もちろん門下生の一人として敵わず、竹刀の音すらしなかった。
しかし相手は、くるりくるりと宙を舞ってしまう。理解のできぬ様子であったであろう。
「皆でまいられよ」、免許の門下生も数人で囲んだものの、まったく敵わず
もちろん、鉄之進も一瞬でやられてしまった。
しかし鉄之進も達人、心を乱さず、教えをこい法神をお客としておいておいた。



372 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/13 23:37 ID:Ca09jHN1
↑どこの人だったんですか?


379 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/14 09:08 ID:sfUiXSrk
>>372
出身は加賀の国だそうです。元は、富樫姓だったそうです。
剣は富田流の流れと奥山休賀斎の神陰流の流れをついでいる家の生まれ。
 奥山の晩年の高弟、右坂彦右衛門(神陰流相伝)は富樫政親にその腕を
惚れられ大道場を作り、教授に当たらせたそうです。そして政親自身も
修行十余年、後継者になりました。元来富樫家では代々名人を輩出した武門の出
であったそうです。そして、政親、五代の末孫に大変な天才児政武(後の法神)が
生まれました。 その才能はどれ一つとって人間離れしており、十七、八で北国第一
の武芸者になり、今牛若と賞賛されました。 後に中国に渡り、100余歳の老子
につき、長命の秘術をうけ帰国。ちなみに、1年足らずで現地人と変わらぬ程に
言葉を使えるようになったそうです。
晩年は上州赤城山麓、勢多及び利根地方にて剣を教授したそうです。
そして法神流からは須田房之助(、勝江彦隆斎、 時代を下って
天覧試合で優勝した持田盛二等、名剣士を輩出しております



380 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/14 09:28 ID:sfUiXSrk
ちなみに、二代目である須田房之助は、法神の生まれ変わりと賞賛される
程の麒麟児だったそうですが、おしいことに薗原事件にて殺害されました。
薗原事件というのは、神道一心流という流派との喧嘩から発展、
神道一心流が須田を騙し、ひどろ(田んぼの中でも質が特に悪い)
に足を奪われた所を射殺されました。
ちなみに、その時に神道一心流に斬り込んだ三人が法神流の三郎三吉とうたわれた
法神流二代目須田房之助(房吉) 町田寿吉、法神流三代目森田与吉
法神流の中でも指折りの最高弟達でした。そして、彼らの卑劣な騙し方に怒り

「剣を学ぶ程の者は、さぞや聞き及びつらん、法神流下げ太刀と異名をとった
箱田村の森田与吉朗じゃ。命押しからざる者はまいられい」凄まじい形相で怒鳴り

「同じく法神流三吉の一人にて、南室の鬼とうたわれた、町田寿吉じゃ、
先生との約により、刀は抜かざる心なりしtが、かかる卑怯未練な所行を見ては
武芸者としてこのまま帰る訳には参らん。義によって助太刀致す。それにしても
神道一心流とは、鼻持ちならん武芸じゃ、いざ参られい」と隙なく構えたそうです。

残念なのは、須田は説得し円満に解決するつもりだったたという事もあり
二人には手を出すなと厳しく忠告し、機を見て、二人に引き上げさせ、
自分は逃げた所を足を奪われ鉄砲にて撃ち殺されました。
房吉は男谷の精さんもたじたじだったといわれる程の早技の名人。
事実、負けなしの凄腕だったそうです。



428 : 蝮の道四:03/09/30 02:48 ID:74AaN0r2
 荒木楽山。
榊原健吉門下時代から内藤高治はその足元にも及ばす、
一度だけ参加した京都の武徳会大会では中島春美を赤子扱いで圧勝し、それを見た中山博道が教えを請うたという逸話の持ち主。
 本心一刀流は氏が柳生流と心形刀流を中心に鞍馬流を加えて編んだ流儀。
武徳会に加わらず範士などの士号も受けず、著名な大会にも出なかったが、
明治から大正期には剣道界から一目も二目も置かれ、むしろ著名な剣士から煙たがれような隠れた達者。



468 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 10:32 ID:/t2UNcqV
やっぱり二階堂主水だろ。
八文字の奥義を高弟2人に授ける時の逸話。
二人以外を外にだして、戸を閉めた。ドンッ!という音がすると
二人は蒼白になって飛び出してきた。
という話と心の一法で金縛りに合わせる術が有名だけどそれだけではない。
体裁きも松林に劣らないものがあった。
現在の単位で6.6mの壕をその場からいきなり飛び越えたり
2mもの高さの塀を飛び越えたりした。
彼の勤めていた城の側はすごい崖で、一本木が立っており丁度崖に傘を広げていた。
その枝に、主水は「気晴らしだ」と言ってはピョンピョンと飛び移り
見るものを蒼白にさせては楽しんだという。



469 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 10:35 ID:/t2UNcqV
あるとき、主の忠利が今までに見たことのない怪しい術を見せよ。といった。
すると目の前の畳が1枚、音もなく宙を浮いてきた。
見るものが唖然としていると、主水はその畳の下に消えた。
畳はつぎつぎと宙を浮かび始め主水はその畳の下を自由自在に飛び回った。
見るものがあまりに不思議すぎて呆然としていて、
ハッと我に帰った時には主水は向こうの廊下に出ていた。

江戸中期の「積翠雑話」が出展



470 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 10:39 ID:/t2UNcqV
剣豪とは言えないかもしれないが、、松浦家臣の伊藤甚三郎もすごい話がある。

ポルトガル人が争っている所に偶然、伊藤が通りかかった。
何を勘違いしたのか、ポルトガル人が伊藤が攻撃してくると思い
先を取って切りかかってきた。突然のこと伊藤も驚いたものの
13人を返り討ちに殺してしまった。

足軽6、7?人を殺した林田左門?だかよりも強いのではないだろうかw



471 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 10:48 ID:/t2UNcqV
甲賀の忍者、芥川九朗衛門もすごい話がある。
ある時刺客が彼を狙った。九朗は夕飯のしたくをしており
薪を割っている。しばらくして芥川が薪を割った次の瞬間、刺客の
右腕もごっそり両断されてしまった。

彼があるとき、宴の席で忍者の技を見せて欲しいといわれ
かしこまりました。と頭を下げた。そのまま彼がじっとしているので
何も出来ないのかと、見ていた人は滑稽に見えたのか
クスクスと笑いはじめた。すると、表にいた2、30人の女性の
悲鳴が聞えてきた。何事かと見ると、うえから彼女ら帯が舞ってくる
 彼女らは頬を赤らめうつむいていた。
芥川をみてもやはりうつむいているばかり。あまりの早業に唖然となった。

また、ある時、弟子に早走りの技を教えていると
なにやら小腹がすいてきた。それで、たまたま結婚式をやっていた
家があったため、透明になる術を使って忍び込みこっそりご飯をたべていた。
だが、弟子が未熟で術が解けてしまい慌てて逃げてきた、という話もある。



419 : 名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/24 14:11 ID:eXnk4xbG
女性で強かった剣士ていないの?


662 : 愛知県名無し:04/04/03 22:46 ID:mEVm5BNp
>>419
 女武者で有名かつ最強なのは、平家物語で登場した巴御前であろう。
巴が幼い頃、父中原兼遠は、源氏の争いに巻き込まれた源義仲を匿った。
 巴と源義仲(後の朝日将軍木曽義仲)、巴の兄弟3人は幼い事からひとつ屋根の下
で育った。そして巴は義仲の妻になった。
 1180年、現在の長野県日義村で打倒平家の兵を挙げ、倶利伽藍峠で10万人の
平家軍を破って入京した。巴は兄弟3人と共に義仲軍の大将として常に義仲と共にいた。
 しかし、入京6ヶ月後、同じ源氏である源頼朝が義仲追討の大軍を差し向けた。
これまでの激戦で消耗した義仲軍には、充分な戦力がなく最期の時を迎えていた。
巴は義仲と運命を共にする覚悟は出来ていたが、義仲が説得し結果的に生き延びることが出来た。
しかし、兄弟3人は最期まで剣を捨てず、義仲と運命を共にした。



663 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 23:20 ID:J3MiAv1c
いやいや、女流剣士といえば薗部秀雄でそ。
薙刀だけど、渡辺昇も中山博道も彼女に敗れてる。



513 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 21:26 ID:DrHo2OPL
江戸初期にはすごい剣豪がいっぱいいたよね。
宮本武蔵 柳生一族 深尾 二階堂 丸目  この辺りは
かなり有名だけど
あえて順位をつけるなら
二階堂>宮本>>>柳生石舟斎=兵庫=丸目>宗矩
深尾はちょっとわからない。

根拠は武蔵が道場を盗み見て戦いを避けたんが二階堂という話があり
逆はない。避けたのはこの人の弟子って話もあるけど、すると二階堂は
もっと強いという事になる。というのも、十文字の奥義を誰にも授けてないから。
八文字を伝授した二人は、閉じられた道場から汗だくで真っ青になってとびでた
というから、何を伝えたのだかわからんが恐ろしい。
 柳生宗矩が武蔵より下というのは柳生の免許者が武蔵の方が宗矩より
井目も強い。っていったから。 碁の言葉だがプロとアマくら差があるってことだと。



528 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/23 02:30 ID:WVTvja4S
昔の千葉周作や宮本武蔵や針ヶ谷夕雲といった超強いとされてきた剣豪が、
今の剣道の竹刀ルールの大会に出たらどれくらいのレベルなのでしょうか?
剣道に関してはずぶの素人なのでどなたか教えてください。

①市町村大会優勝レベル
②都道府県大会優勝レベル
③世界チャンピオンレベル



530 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/24 08:54 ID:FT5J1JA3
>>528
実戦では鬼のような強さを誇った新撰組の土方やら沖田がいた天然理心流の道場って竹刀剣術が下手糞だったらしい。
だから他流が道場にきたら交流のある道場に声をかけて相手をしてもらったんだって。もちろん、土方や沖田がいた時代
(余談だがそこの道場やよく来てもらったところが結構な強さだった)

実戦で強いから竹刀ルールで強いとはかぎらないな~。
千葉周作は竹刀稽古をガンガンやっていたから今のルールにも対応できたかもしれないが、

宮本武蔵や針ヶ谷夕雲の場合は
④あっさり負ける
ってケースもありえたかもね。

まぁ、いろいろ考えてみるのは楽しいよね。



602 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:17 ID:s3E24xNg
戦国武将もいいなら本多忠勝かな。
単騎で敵陣に乗り込んだり一騎打ちとかもしてる。
それで無傷だし

あと伊達政宗も朝鮮での戦いの時
愛刀影秀で敵大将を馬鞍ごとぶった斬ったとか・・・・



607 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/01 16:21 ID:M6UyGl9p
戦国武将ありなら福島正則とか黒田長政とか蒲生氏郷とか加藤清正と(ry


601 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:11 ID:kE5hpAL2
最強はさておいて一番日本の剣道・剣術史に貢献した剣士は誰なのかな?


614 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/02 15:27 ID:CgT5xLzn
>>601
日本の剣道・剣術史に最も貢献した剣士という事なら宮本武蔵じゃないか?
知名度は他の剣聖、剣豪、剣士の比じゃないと思うんだが…。
まあ吉川英治の創作に拠る処が大きいのは否めないが。
それは置いても『五輪書』とかは誰でも知ってるし。



650 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/23 23:43 ID:lFTGmISJ
>>601
やはり上泉伊勢守でしょう。
「相手を打っても問題無い剣」
である袋竹刀を発明したことは、剣道の源流といっても良いとおもう。
 それに」実戦経験もあり、実戦重視派も納得するだろう。
その説いた剣理もわかりやすく、理に適っている。
「距離とタイミングを良く計れ、狙いは後の先をとることだ」
 また、全国各地から数々の弟子を取り、いずれも名を挙げていること、などなど、
剣道にも剣術にもマイナスの評価はないと思う。

強いという逸話を剣豪達はみな持っているが、誰それに勝ったとかそういうのではなく、
その人物が当時も今も強くて偉大だと認められるべき根拠を
これだけ持っているのは、上泉伊勢をおいていないんじゃないだろうか。



626 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 02:28 ID:g1tEFUAp
剣豪達の持ってた技術ってのは具体的にどんなものだったんだろう?


628 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/05 11:04 ID:fA2uAECW
>>626
技術というか秘技になるかもしれないけど良く知られているのは、
新当流:塚原卜伝=一の太刀 敵の剣を外し、上から真直ぐ切り落とす技。
新影流:上泉武蔵守=無刀取り 相手の剣を封じる技。
一刀流:伊東一刀斉=無想剣 無心による臨機応変の剣。
このどれもこれ以外に多くの説があるね。



825 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/21 22:15 ID:hxiY77o6
無刀流 山岡鉄太郎 こんな達人はいない
生涯 斬人せずに修羅場を潜ってきた



826 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/21 22:26 ID:k6JI/eU/
>>825
日本で最初の殺人教唆の疑いが、かけられたのは鉄舟だけどな
何でも日本最後の敵討ち[明治13年]をやった臼井六郎が九州・福岡から上京して
鉄舟の内弟子を四年務め本懐をとげた後、鉄舟も警視庁の取調べを受けたとか



843 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/07 10:06 ID:MEAPoo2B
男谷精一郎は?知ってる人いるかな?


845 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/07 14:02 ID:MEAPoo2B
男谷精一郎・・・、講武官の教授方で 幕末の剣聖と言われた人だね。    シブイ!


850 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/07 21:15 ID:bxTPaDFk
男谷ってなんか中途半端・・・・・
包容力はありそうだけど、達人って感じがしない



851 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/07 21:16 ID:bxTPaDFk
というか、人格円満すぎてつまんない。
和田平助とか、少しキチガイじみてるくらいじゃないと
なんか弱そう



870 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/14 23:51 ID:OfHJ4DYU
 男谷は若い頃には勝小吉とともに道場破りや
喧嘩三昧の日々を送ったこともあるそうだ…
 島田虎之助との逸話など後年の温厚な面だけ
が表に出てるんだろうかね…



889 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/04 17:40 ID:SMLzUpZP
男谷精一郎は加藤田新陰流の加藤田平八郎に負けてる。男谷の高弟島田虎
之助もぼこぼこにやられた。でも、本当に面白いことに、男谷の弟子の中で
も中堅で、実力も虎之助に全然かなわない程度のがいたんだけど、この弟子
がやたら癖のある剣術を使っていた。この弟子の癖というのが平八郎と相性
良く、平八郎がバシバシ打たれてしまった。
 平八郎が日記に書いてるのだけれど、「まったく釈然としなしが、致し方
なし」だって。
 ちなみに、平八郎は無住心剣の達人加藤田新作の孫。加藤田新作は真里谷
円四郎に勝った中村権内の弟子で、権内も歯が立たなかった人。



871 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/15 22:55 ID:f+JtwgDc
キチガイじみてて強いと言えば宮本武蔵か。
手先の器用なただの野人だったのか、多芸にも通じる文化人だったのか。
師を持たない独学の剣だという話もあれば、著名な剣客を父に持つエリートだと言う話もあって、良くワカラン。



873 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/16 00:59 ID:ZtioHl5C
身体能力に関しては松林左馬助が最強っぽい。
インド伝来の軽身功の使い手。



899 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 02:24 ID:XpRrq3fh
つばぜり合の事

剣道の試合中、つばぜり合いをご覧になった方も
相当ある事と存じます。
つばぜり合いは、受けという事とも関連していますが、
なぜつばぜり合いになるのかといえば、相手の打ち込み
を受ける事により起こるのですが、
しかけられた時は打ち込まれるよりは
ましで、受け止めた場合につばぜり合いとなるのです。
真剣勝負の場合は、打ち込まれた瞬間、両方の刃が打ち合って
両側へ開くので、剣道や映画で見るようなつばぜり合いは
ありません。
よく「しのぎを削るようなはげしい闘いだ」という言葉
通りで、お互いの剣が両側へ流れるものです。



900 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 02:33 ID:XpRrq3fh
残心と、放心と云う事

残心と放心ということは、時と場合によりますが
自分が太刀を取るときは、いつも意の心を放って
心の心を残すものです。
相手を打つ時は、心のこころを放って意の心を
残します。このように心と残心は、その時その時
によらねばなりません。その用い方には充分に注意して
鍛錬すべきです。



901 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 02:43 ID:XpRrq3fh
切返しについて

近頃、剣道練習の始や終りの時に斬り返しと称して腕や手首の
予備運動のために、竹刀を左右に一歩づつ前進しながら打ち込み、
その後大上段から正面を打つことをしますが、竹刀だから出来る
ので、真剣では事実不可能なことです。
真の剣術は、身体のどこを斬っても可とし、打たれても、そして
傷を負うことがあるのを忘れてはなりません。
一指をも触れさせずに相手を制するというように修行しすすめるよう
心掛けるべきだと思います。



902 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 02:49 ID:XpRrq3fh
太刀の振りを直す事

戦の最中で、太刀が曲る事がありますが、その時は
付近にある樹木に切込んで、静かに手元に引く事によって
曲がりは簡単に直るものであります。



903 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 03:07 ID:XpRrq3fh
月夜の時の試合の方法
 
これは、わが身を陰の方に隠し、相手を月下に誘引する事を
心掛けるべきです。

大風の試合には

風のあたりを、自分の背に受けるべきで、大風に向かえば、
目覆われて不覚を取ると知るべきです。

日中の試合には

無論、太陽を自分の背に受けるべきであります。相手は「めばたき」
をして自分を見るから不利であります。
宮本武蔵と佐々木巌流の仕合は、これを利用したものであります。



904 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/15 03:08 ID:XpRrq3fh
雨中の試合には

普通の試合の時より間隔を隔てて、頭を垂れて
敵の兵器の色を見るべきであります。
こちらは上段に構える方が得策であります。

降雪の試合には

こちらは上段に構えて、相手をして目を上に向ける様
すべきであります。

寒気の激しい時

手足が冷えて、兵器を取り落とすような不覚があります。
口に「生姜」を含んで、手足には「日本酒」を塗って用意を
怠ってはなりません。酒は決して飲んではならず醒めた時には
大変に冷えるものですから足袋のつま先には「赤なんばん」
をいれるものです。



913 : 名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 12:32 ID:R+elimv0
なんか斉藤伝鬼房が挙がってないので紹介しとく。

天道流の始祖は斉藤判官伝鬼房である。
伝鬼は常陸国井手に生まれ、塚原ト伝の門に入り刀槍の術を学ぶ。多勢の門弟の中で群を抜いていたが、
技の未熟を深く心に感じ、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の百日参籠をなし、夢で探し求めていた剣の妙技が記された一軸の巻物を天から授かり、
誠の道にかなう妙技を得て一流を興しこれを天流と称し、後に天道流と改めた。


天道流は薙刀、二刀、一刀、鎖鎌、弓などを扱う流派です。然る開祖もこれらを扱えたのではないでしょうか。







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[ 2011/07/06 ] 歴史 | TB(0) | CM(22) | このエントリーをはてなブックマークに追加




[ 6892 ]
>なんせ威力が違う、そこいらの輩が示現流有段者の第一刀を刀で受けようと思った物なら受けきれずに腰まで裂けるし。

全部ウソ。九州だから。
[ 2011/07/06 18:09 ] [ 編集 ]
[ 6894 ]
普通に武蔵じゃないの
[ 2011/07/06 18:24 ] [ 編集 ]
[ 6895 ]
子供が死ぬ。九州だから。
[ 2011/07/06 18:31 ] [ 編集 ]
[ 6896 ]
上泉と朴伝どっちかだろ
武蔵は剣豪どころか剣術家ですらない。
ただのテロリスト兼詐欺師
[ 2011/07/06 18:37 ] [ 編集 ]
[ 6897 ]
戦国IXA的に考えて柳生石舟斎。

もしくは俺が考えた草食ちんこ一刀流創始者 股野下木の子。
[ 2011/07/06 18:38 ] [ 編集 ]
[ 6898 ]
この手の話題で福沢諭吉についての議論がされない事に絶望した
[ 2011/07/06 18:54 ] [ 編集 ]
[ 6899 ]
上泉信綱が最強だと思うが
柳生石舟斎、兵庫助、宗矩といった柳生一族はそれぞれ個性があって好きだ
武蔵は評価が難しいな、個人的には兵庫助と同じぐらいの強さだと思う
[ 2011/07/06 19:21 ] [ 編集 ]
[ 6900 ]
佐々木小次郎は伝承だけだから無いのか?
[ 2011/07/06 19:25 ] [ 編集 ]
[ 6901 ]
上泉伊勢守信綱≧塚原卜伝>千葉周作とか丸目とか東郷重位とか。

石舟斎は新当流をちゃんと修行してから、疋田に竹刀対木刀で負けてるから、新陰流の印可状貰った後もせいぜい疋田とか神後とかの上泉の高弟くらいの強さだろ

示現流は勘違いしてる奴多すぎ
もともとは丸目のタイ捨流から派生して、初太刀を出来る限り速く振り下ろせって言われてただけで、立木打ちとか見ればわかるが、その後の太刀もその後も太刀もちゃんとある。

あと武蔵が強いとかいうのは後世の創作だろ
[ 2011/07/06 20:00 ] [ 編集 ]
[ 6902 ]
九州民なら、林崎甚助を上げるべき。
示現流上げてるのは他の流派しらないだけ。
[ 2011/07/06 20:06 ] [ 編集 ]
[ 6906 ]
最強じゃないだろうけど個人的には足利義輝が好き
主役で大河ドラマをつくってもらいたい
[ 2011/07/06 22:35 ] [ 編集 ]
[ 6910 ]
結局、言い伝えとか書物とかで書かれてることから推測するしかないんだから、
武蔵は創作だから除外とか言っちゃうと、じゃあ他の奴について書かれてることは全部事実なのか、ってことにならない?
[ 2011/07/06 23:07 ] [ 編集 ]
[ 6912 ]
結局実戦で一番たくさん人切ってる奴が最強だろ
それが誰かと言われれば知らないけどwww
いくら凄い技術あっても実践の緊張感の中で実力が発揮できないなら話にならんよ
[ 2011/07/07 00:03 ] [ 編集 ]
[ 6913 ]
昔の剣豪って外国人から秘術を学んで日本じゃ敵なしってのが多いから
中国の達人とやったらフルボッコにされそう
[ 2011/07/07 03:10 ] [ 編集 ]
[ 6916 ]
1レス目から九州贔屓が出ちゃってるのがもうね
一番最初に挙げるのが東郷さんはないわー
[ 2011/07/07 07:03 ] [ 編集 ]
[ 6918 ]
「兵法家」としての強さなら、実際に武蔵は相当だったんだろう。
また、創作が多いとは言っても、まるきり素人の腕だったわけでもあるまい。
おそらく無敗というのも本当。
戦場で戦わせるなら最強候補に入るはず。
[ 2011/07/07 09:43 ] [ 編集 ]
[ 6969 ]
戦場では武蔵は大した活躍はできなかったからな…
子供に石ぶつけられて怪我したんじゃなかったっけ
[ 2011/07/08 03:12 ] [ 編集 ]
[ 19623 ]
最強は剣聖と謡われた上泉信綱だろ
[ 2011/11/15 07:01 ] [ 編集 ]
[ 50483 ]
>>233
その話の元ネタって“世間のうわさ”じゃなくて弟子が創った流派内の文書だし、
わざわざそういう話を創らないといけない所を見ると
当時一刀流と新陰流の評価にそんな差は無いだろ
[ 2012/05/12 18:51 ] [ 編集 ]
[ 53182 ]
最強かどうかは別として、武蔵は間違いなくタダ者じゃない。
五輪書の内容からしても、相当な遣い手なはず。
実際に戦ってる現代の武術家・格闘家でも五輪書ファンって多いし、参考書なみにリアルかつ具体的な内容でただただビックリする。
武術や格闘技をやってる人間なら理解出来る内容だと思うし、面白く読める。
ただ、やってない人がやっぱり読むにはつまらないかな。

個人的には、戦った数&斬った人数からして、塚原卜伝か真里谷円四郎かな。

でも好きなのは足利義輝と黒河内伝五郎。
[ 2012/05/24 17:04 ] [ 編集 ]
[ 65112 ]
まあ最終的には上泉ですよね
剣聖ですもんね
[ 2012/07/17 23:53 ] [ 編集 ]
[ 114398 ]
千葉周作に一票。
[ 2013/03/29 17:55 ] [ 編集 ]
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