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アルビレオ(やわらか銀行):2012/05/16(水) 21:58:34.16 ID:rioD7CK30
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武田を破った新戦術 1000丁×3に疑問
戦国武将・織田信長が、武田勝頼の「騎馬軍団」を破ったと言われる長篠の戦い。
長い間、鉄砲の三段撃ちが雌雄を決したとされてきたが、近年、虚構とみる説が有力になってきた。
織田信長は1534年、尾張国の西部を支配していた織田信秀の嫡男(ちゃくなん)として生まれた。
その名を高めたのは、駿河国の守護大名・今川義元を破った桶狭間(おけはざま)の戦いだ。
68年には足利義昭を擁して上洛(じょうらく)、天下に覇を唱えた。
その信長が、武田信玄の後継者、勝頼と激突したのが長篠の戦い(75年)である。
武田軍に包囲された徳川方の長篠城を救うべく急行した織田・徳川の連合軍は、信長考案の馬防柵を築いて布陣。
3千丁の鉄砲を1千丁ずつ交代で発射する三段撃ちで押し寄せる武田の騎馬軍団を壊滅させ、敵対勢力の武田氏にとどめを刺した。
こうして信長は、長篠の戦いで、「大量の鉄砲を集中使用する戦術革命を達成した」というのが従来の考え方だった。
■撃つ間隔、ばらばらのはず
ところが、この鉄砲3千丁による三段撃ち、かなり怪しいらしい。
国学院大兼任講師の藤本正行さん(中世軍事史)が1975年の論文「長篠合戦における織田の銃隊の人数について」で指摘、論証を重ねてきた。
3千丁三段撃ち説の根拠となってきたのは、江戸初期の儒家・小瀬甫庵(おぜ・ほあん)が記した「信長記」である。
この本には確かに「鉄砲三千挺(ちょう)〈中略〉一段ずつ立ち替わり立ち替わり打たすべし」との記述があるのだが、
藤本さんによると、その元本になった信長の家臣・太田牛一の「信長公記」には立ち替わり撃ったとの記述はないという。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201205150184.html101 :
ベクルックス(SB-iPhone):2012/05/16(水) 23:10:39.82 ID:GpZJX0SJi
これ大昔に陸軍が疑問をもって現地調査して三段撃ちは無かったって結論出してなかった?
三段に分けて撃ったら火力が分散されて却って不利になる的な論文とか出てたような気がする11 :
カペラ(神奈川県):2012/05/16(水) 22:08:38.43 ID:xEN0LUK60
いっせいに入れ替わるよりも
それぞれの列でいい感じのタイミングで入れ替わったほうが効率いいだろ14 :
はくちょう座X-1(岐阜県):2012/05/16(水) 22:13:21.31 ID:tw9pDJyN0
それなら、策作って鉄砲集めて撃ってただけってこと?16 :
グレートウォール(西日本):2012/05/16(水) 22:18:30.31 ID:i1jcAZb10
当時の武器商人のステマ
実際には、銃の力だけで勝った訳じゃない。17 :
レア(dion軍):2012/05/16(水) 22:21:26.43 ID:t5YT846c0
>>16 だな。
兵力で大きく上回り、要衝をしっかり押さえる。
まぁ鉄砲3千の威力は大きかっただろうが・・・
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